2014年暮れに東京農工大学から依頼された、「日本の農業問題についての講演」を通じて、店主河合の今までの経緯をまとめましたので、これから私もいろいろ聞きながら整理し、HPへも掲載をしていきます。
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講演次第は次のとおりです。
☆タイデス農法
-日本の農業問題を考えるとき私たちは今どんな時代に生きているか-
1.経歴
波乱万丈の集大成「生かす」農業(雑誌「そう(叢)」掲載資料より)
2.ある高僧との出会い ~ 都城 ~
農業に従事する精神とマナーを学ぶきっかけとなる命題を与えられる
3.微生物・ミネラル・水 ~ 40億年の真理 ~
生物が存在するために欠かせない原点技術について
4.長期熟成堆肥 ~ 家畜の糞尿は宝である ~
堆肥-その意味と効用 ~祈りをこめて堆肥を作る ~
5.タイデスうずら ~ 悪臭のない鶉舎の実現 ~
家畜の飼料・水について・畜産物について
家畜の糞尿処理について
6.農業にたずさわる人たちへ ~ 正しい農業とは ~
日本の農業史を正しく学ぶこと
農業の技能を磨き、大切にすること(技術におぼれないこと)
農学の精神と農業のマナーを身につけること
※今回はTVの動画や、雑誌「そう(叢)」で紹介をされている河合の経歴についても紹介します。
・昭和19年 野田村(現田原市)に家畜商を営む河合家の長男として生まれる。
・地元成章高校を卒業し、金沢大学理学部数学科に進む。
・大学院卒業後、数学に対する興味は尽きず、状況。
・日本医科大学助手となり教鞭を執る傍ら東大大学院へ通う。
・折しも安保闘争から安田講堂闘争へと流れる騒乱期を迎え、渦中の人となり、希望と挫折を繰り返しながらやがて故郷に戻る。
・家業の家畜商を手伝う一方で、昭和51年農事組合法人地部道肉牛組合を設立。(32歳で8億円余りのプロジェクトを成功させた。)
・40歳の時、宮崎県高城町から酪農経営の牧場再建を依頼され、身辺を整理し九州に渡る。(30億円のプロジェクトを立ち上げるとともに、約10年間で後の人生を変える出会いが生まれた。)
・平成7年(51歳)、再建してできた肉牛牧場の経営方針の相違等があり故郷に戻る決意をする。
・折しも豊橋養鶉農協の再建への協力要請があり、堆肥場の建設計画等に係わることになり、このことがきっかけとなり、自らの理論の実践を目指すため、クウェールコスモス(養鶉業)を設立する。